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研究開発マガジン

研究者の見る夢 VOL.8 視覚認識を中心に人の知覚を科学して、そのメカニズムを解明する。

コミュニケーション科学基礎研究所 人間情報研究部 感覚情動研究グループ 主幹研究員 西田 眞也人は“視覚”ときくと目やレンズを思い浮かべるかもしれないが、目はカメラ(入力装置)の役割にすぎない。脳が目の網膜像に何らかの処理をすることによってはじめて、その画像から有用な情報を取り出すことができる。NTTの研究から、人間の視覚的認識が、物体の運動と、その形態、色彩などの情報を処理する脳のモジュールが、互いに密接に連携し合って形成されていく仕組みが次第に分かってきた。これは、精緻(せいち)な心理物理学的方法を駆使して、そのメカニズムの解明を進めた研究の成果である。

今回は、コミュニケーション科学基礎研究所 人間情報研究部に西田眞也を訪ね、その研究姿勢と成果を中心に語ってもらい、研究者の資質についても考察していきたい。

人の認識を科学的視点で解明したい!

西田は「かなり理屈っぽいタイプだった」と、自己の少年時代をふり返る。

「高校時代に『自分にとって、目の前のものごとがそのように存在しているのは、自分の脳がそのように認識しているからにほかならない』という考えにはまりました。そこで、自分自身をはじめとする人間そのものを対象にする学問に魅せられて、大学に進学すると心理学を専攻しました」

西田が入学したのは文学部であった。文学部における人間研究は多岐にわたる。その王道は哲学や文学だったが、生来の疑い深さゆえに、「疑いえない客観的な事実に基づいて、自分が納得できなければ意味がない」、西田はそう考えた。そこで、『心』や『精神』といった曖昧(あいまい)な主観的領域すらも科学的なアプローチによって客観的に分析しようという姿勢に惹かれて、心理学、その中でも特に心理物理学を志したのである。具体的には、入力・刺激に対して、人間の知覚的な反応を細かく分析することによって脳の処理の仕組みを探る研究に没頭していった。

博士後期課程を終えた1990年は、いわゆる就職氷河期の真っただ中。その状況は、文学部出身で研究職を目指すものにはさらに厳しかった。幸い、人間の視覚系にかかわる西田の心理物理学的研究成果に注目した(株)国際電気通信基礎技術研究所(ATR)・視聴覚機構研究所から声がかかり、ここで2年間研究員として活動を続けた。そして1992年にNTTの基礎研究所に移り、さらに研究を継続。1996年には、母校の京都大学から文学博士の学位を取得した。

視覚認識を支える処理の相互作用を解明

人間の視覚的認識では、運動や形態、色彩などの感覚属性が、専門の処理モジュールで分析され、それらのモジュール間の相互作用によって、さまざまな属性の情報を統合した豊かな認識が成立している点に注目した西田は、その仕組みの解明に取り組んだ。

「心理物理学では、人間の脳は網膜に映った映像情報をどのよう処理し、把握しているかを、人間の知覚に基づいた判断を定量的に分析することから探っていきます。私の研究のポイントは、動きの情報が、動いている対象の形や色の認識にどのように利用されているのか、というメカニズムを探っていくことでした」

従来は、動きや位置、形、色、時間などの情報は、脳内で全く別々に処理されていると考えられてきた。確かに、動きにかかわる処理と形状などの情報処理をつかさどる脳の領域は異なっている。しかし、西田を中心とした研究チームは、その経路は相互にリンクしており、密接な連携処理が行われているはずであると考え、それを実証したのである。

運動と色や形状、位置、時間などが組み合わされた状況下で、人間はさまざまな錯視を体験する。例えば、回転する風車の画像を凝視した後でその回転を止めると、今後は逆回転しているように見え、そのとき逆回転の動きにつられて静止しているはずの形が歪んで見える(「運動残効による傾き誘導」)。狭い隙間のむこうで大きな物体が動くと、隙間からは断片しか見えていないはずなのに、全体の姿が見えたような気がする(「多重スリット視」)。あるいは、実際には上に動くときに緑、下に動くときに赤と変化している動きを、間違った動きと色の組み合わせが見えたような気がする(「運動と色の非同期錯視」)、というようにだ。


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“運動と色の非同期錯視”
この映像は、緑⇔赤の色の変化と、上⇔下の運動が組み合わさっている。左では緑と上、赤と下が正しく組みになっているが、変化のタイミングが合っているようには見えない。
一方、右では本当は色と運動のタイミングはずれているのに、緑と上、赤と下がぴったり組み合わさっているように見える。
(解説、および他の錯視デモはこちらでご覧になれます: Motion Perception Demo(別ウインドウが開きます)

Get QuickTime
※左のムービーをご覧いただくためには、QuickTimeプラグインが必要です。


これらの錯視のメカニズムを、動きと位置、形、色などの情報処理機能の相互連携として読み解くこと、それが西田の視覚認識へのアプローチだった。

「運動残効」と呼ばれる錯視現象では、実際には存在しない運動が脳内でつくり出され、「止まっているのに動いて見える」というパラドックスが体験される。この純粋な「動き」の錯視が、「位置」や「形」を見るはたらきにさえ錯覚を生じさせる力をもっていること、さらにこの仕組みによって知覚処理による遅れの影響が取り除かれて動いているものが正しい位置に見えることが、西田らの研究によって明らかにされたのである。この研究成果は、1999年2月18日発行の科学論文誌『Nature』に掲載された。

(参考)Nishida, S. & Johnston, A. (1999). Influence of motion signals on the perceived position of spatial pattern, Nature, No.6720, Vol.397 p.610-612.

さらに新たな研究テーマ『質感認識』の解明

西田は、運動の知覚だけではなく、視覚モジュールや感覚モダリティ間の情報統合、時間関係の知覚など非常に多様な研究に従事している。最近の研究テーマのひとつである『自然画像からの物体表面の反射特性の知覚』では、「質感」という“まだ科学的には何も分かっていないといえる”分野に挑戦している。

「これは、米・MIT(Massachusetts Institute of Technology)との共同体制の下に進められてきたテーマで、金属や布、木材、プラスチックなど、物の表面を見たときに感じる光沢などの『質感』をどのように知覚し認識しているのかを解明する研究です」

質感の知覚には表面での拡散反射や鏡面反射、表面内部での拡散や屈折など、極めて複雑な光学現象が関与している。にもかかわらず、人間はたった1枚の写真からでも、そこに映っている物体の質感を簡単に見分けることができるのである。今回の研究で、この驚くべき能力を支えるメカニズムの一端が解明された。そのポイントは、物体表面の知覚的な光沢と明るさが、表面の画像の輝度(明るさ)の分布を示したヒストグラムの歪みに関係していることであった。

「同じ凹凸を持つ表面の二枚の画像があり、平均輝度が同一だったとします。この場合、その輝度分布のヒストグラムが正方向(高輝度)に歪むと光沢をもち、逆に負方向(低輝度)に歪むと光沢を失うことが分かったのです。また逆に、今度はある表面画像の輝度ヒストグラムを人工的に歪ませてやると、その歪み方向に応じた質感の知覚が現れました。このことから、私たちは輝度ヒストグラムの歪みをとらえて表面の光沢や明るさを認識していると考えられます」


光沢感の違う二つの表面を区別する手がかりは、輝度のヒストグラムがどちら方向に歪んでいるかというところにある。

参考:Motoyoshi, I., Nishida, S., Sharan, L. & Adelson, E.H. (2007). Image statistics and the perception of surface qualities, Nature, May 10; 447(7141): 2006-2009.



このように複雑に思えた光沢などの質感の知覚に対して、単純な画像特徴の分析に基づいている可能性が示唆されたのである。

「メタリック感やほこりなどといった質感知覚に関してはまだ十分に解明していませんが、今後質感知覚の秘密が解明されれば、画家やカメラマンやグラフィックデザイナーなどの専門領域であったアートの世界をサイエンスやエンジニアの世界に持ち込めると考えています」

NTTだからこそ貫ける研究姿勢の中で

西田の目指す研究は、心理学や視覚科学をはじめ、神経科学や画像工学など、広範な学問分野を総動員した学際的なものとなっていかざるをえない。幸いNTTの研究所にいて、それぞれ先見的な視点から自己の研究を深耕している内外の多くの優秀な研究者に出会えた。しかも、そのような研究者と有機的な連携を組んで、新たなプロジェクトを組織することもできる。「そんな懐(ふところ)の深さと自由度の高さが保たれていると感じることができるのが、NTTの研究所の特長であり魅力だと思っています」と西田は語る。

「私自身、いままで自分の学問的関心にしたがって、自由な立場でやりたい研究を続けてくることができました。しかしそれは、必ず今後のNTTの事業や通信文化の発展にも貢献できるはずだ、と確信しています」

例えば、画像伝送に伴う画像の圧縮やノイズ除去などを巡る研究でも、形や動きの情報をうまく利用することにより、最適化が追求されている。しかし、そこに画像を見る人間の脳のはたらきは十分考慮されていない。今後、学際的な研究プロジェクトの進行によって、この領域に視覚認識にかかわる脳のはたらきを加味することができれば、より自然で高精度な画像の伝送や再現が実現するはずである。

人間の認識メカニズム全般を追求しようとする西田の研究は、自然と多岐にわたっていかざるを得ない。そこで社内外、国内外の枠を越えた複数の共同研究が、同時並行で進められている。そんな研究姿勢の中で、思考が交錯するといった懸念はないのだろうか?

「並行的に進めている複数の研究も、発想や思考パターンの根っこは同じなのです。むしろ、別々の研究をパラレルで進めることによって相互啓発作用が働いて発想がより豊かになる、という副次効果があります」

「いずれにしても、研究者は『あの人のようになりたい』と、他人を規範や目標、参考にするようでは伸びない。ともに自由な立場で戦い、切磋琢磨できる競争相手を常に探して、無我夢中に走り続ける姿勢が大切ではないでしょうか。そのためにも、これから研究者を目指す若い人たちには『自ら信ずるところ』にしたがって、本当に追求したいテーマを追い続けて欲しいと思います。私自身も、そんな後輩たちを研究室に迎えたいですね。若いうちは、生意気なくらいでなければ、良い研究はできません。もちろん、その背景には確かな裏付けがなければいけないことは、言うまでもありませんけれど・・・・・・」

帰宅後や休日も「研究が趣味なので、公私の区別がつかない」と笑う。そんな西田も昼休みには、中・高時代から続けている卓球や最近はじめた筋トレで良い汗を流す。スポーツと愛娘と遊ぶのがオフタイムでの楽しみだと語る西田は、やはり根っからの「研究者」だと取材班の目には“視覚認知”された。

(取材2010年3月)

西田 眞也 コミュニケーション科学基礎研究所 人間情報研究部 感覚情動研究グループ 主幹研究員 博士(文学)

1990年に京都大学大学院文学研究科(心理学)博士後期課程研究指導認定退学、1996年に京都大学文学研究科より博士(文学)の学位授与される。1990年、(株)国際電気通信基礎技術研究所(ATR)視聴覚機構研究所 奨励研究員となり、1992年に日本電信電話(株)入社。基礎研究所およびコミュニケーション科学基礎研究所において一貫して視覚系の基本特性の研究に携わる。
1997〜1998年 ユニバーシティカレッジロンドン客員研究員。2006年より東京工業大学大学院総合理工学研究科 連携教授、2008年から自然科学研究機構 生理学研究所 多次元共同脳科学推進センター 客員教授などを併任、外部の教壇に立つことも多い。第2回学術振興会賞(2006年2月)、第1回日本心理学会国際賞・奨励賞(2006年11月)受賞。

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