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研究開発マガジン

研究開発の歴史 1930年 百聞を一見にするファクシミリ

今日、ファクシミリはほとんど全ての企業で使われているだけでなく、一般家庭での普及率も5割を越えるなど多くの人々に利用されているツールである。この、電話でもなく、手紙とも違う、第三のコミュニケーション手段であるファクシミリであるが、その発展の裏側に逓信省(日本電信電話公社の前身、現NTT)と報道機関との連携があったことは意外に知られていない。

日本におけるファクシミリの夜明け

文書や画像を離れた場所に届けられるファクシミリ。その歴史は電話の発明(1876)よりも古く、英国のベイン(Alexander Bain)が1843年に出願した特許が最初とされている。しかし、実用可能な通信装置として登場するのは真空管や光電管が発達する20世紀初頭まで待たねばならない。
最初に完成させたのは米国ベル研究所で、ベル式写真電信機を1925年に発表し、翌年には写真電送を業務として開始する。それに前後してドイツがシーメンス式を、フランスもベイン式を次々と実用化させていく。
当時、いち早く写真電送に注目していたのが新聞社などの報道機関であった。1928年(昭和3年)の秋に昭和天皇の御大典(即位の礼)を控えていた日本の新聞各社も、京都で行われる式典の様子を一刻も早く東京に伝えるためにこの写真電送を活用しようと考え、ドイツやフランスから写真電信機を輸入していたのだ。
一方、日本での開発は技術的な遅れもあったが日本電気の丹波保次郎らの手によって式典直前の1928年の夏にNE式試作機の独自開発に成功。

NE式写真電送装置毎日新聞社に急遽採用されることになる。日本初の写真電送に国産技術がギリギリ間に合ったのだ。この成功を受けた1930年(昭和5年)8月21日、逓信省は日本初の公衆写真電報業務を東京大阪間で開始。その方式には海外からも高い評価を得ていた日本製のNE式を採用することになる。
この新サービスは逓信省の公衆写真電信業務として制定され、ここに日本の独自技術による写真電送、すなわちファクシミリの夜明けが訪れたのだ。

国内外を問わず、あらゆるニュースを瞬時に届ける

東京大阪間で始まった写真電報だが、利用者数の伸びは予想ほどではなかった。そこで逓信省は1934年(昭和9年)、気軽に利用できるようにと従来よりも小さい手札サイズ(9×7.5cm)を新設。料金も1円という低価格で提供する。いわゆる「1円電報」である。
このサービスの開始により利用者は急伸し、取扱件数もそれまでの年間約1,500通から14,000通へと爆発的に拡大。しかもそのほとんどが新聞社以外の利用だったのだ。これを機に写真電送は広く企業や個人に認知されていくことになる。
一方、新聞各社は海外からの写真電送に挑戦していく。1936年のベルリンオリンピックではNE式写真電信装置をベルリンに持ち込み、無線による写真電送を成功させて翌日の新聞紙面をにぎわした。飛行機や船よりも圧倒的に早く写真を送れる写真電送が、ラジオ中継の興奮が冷めないうちに臨場感溢れる紙面を読者に届けることを可能にしたのだ。この頃から朝鮮や満州、華北をはじめ、サンフランシスコやロンドンとの写真電報業務も順次始まり、国内だけでなく海外からのニュース報道も活発化していくのだった。
また、文字や図版を主に送るといった写真のような高い画質を必要としない利用者の増加を考慮し、逓信省はより簡易で廉価なサービスである模写電報を1946年にスタート。以後、利用者のニーズを探りながらファクシミリサービスを拡充させていくことになる。

誰もが気軽に使えるビジネスツールへ

1930年に始まった逓信省直営の東京大阪間の写真電報業務は、その後、名古屋を加えた3局相互電送へとサービスを拡大。さらに、東京と仙台、札幌、福岡間での模写電報業務も開始されるなど、利用者数は拡大の一途を辿っていく。しかし、当時のファクシミリは専用回線や準専用回線でしか利用できず、不特定多数との通信は認められていなかったのだ。そこで電話のようにビジネスツールとして活用するために一般電話回線を利用したいという要望が各界から出され、1971年に公衆電気通信法が一部改正される。これを機に一般電話回線にファクシミリ端末機を自由に接続できるようになり、企業や家庭での利用者が急激に増加していくのだ。
1980年には、出張先でファクシミリを使いたいといったニーズに応えるため、日本電信電話公社(以下、電電公社)は公衆ファックスサービスを東京、横浜、名古屋、大阪の都市部で展開。1982年には実施地域を全国へと拡大していく。

東京大阪間の写真電送業務に使用された機器また、1981年にはファクシミリ通信に特化したファクシミリ通信網サービスを開始。遠距離通信時の通信料低減や同報通信、再コール、親展通信といった便利なサービスを次々と登場させていき、ファクシミリの普及と用途の拡張はさらに進んでいく。

ビジネスユースからホームユースへ

1971年の回線開放を機に国内メーカーも製品開発に積極的になり、開発競争の中で優れた製品を送り出していった。特に送信速度の高速化競争はめざましく、電電公社はA4標準原稿で6分の時間を必要としていた送信時間を1978年には半分の3分に短縮する電話ファックス20(VF-10)を、翌年には1分の短時間で送信する電話ファックス10(VF4800)を次々と開発・登場させる。電話ファックス20/10は、A4標準原稿の通信速度を3分/1分に短縮したこともあり、それぞれ3分機/1分機という愛称とともに急速に普及していく。電電公社を追うように各社も製品開発に取り組み、1990年頃にはコピー機能などを兼ね備えた普通紙記録ファクシミリが登場するなど、各種機能を備えたビジネス高級機が発表されていく。

電話FAXの使用風景また、同じく1990年頃にはホームユース向けファクシミリも開発されるようになり、電話機能を削除した低価格機やコードレス機能、留守番電話機能を搭載した複合機が登場するなど、ライフスタイルに合わせた幅広い選択もできるようになっていく。

世界初のファクシミリ通信網サービスの開始

地図や図表を相手に届けるのに便利なファクシミリであるが、日本のような漢字文化圏では文書のファクシミリ送信の需要が今後欧米以上に増加していくと予想。ファクシミリ通信を広く大衆に普及させることを目標に、電電公社は1976年に公衆ファクシミリ通信システム研究会を発足。
1981年9月には、世界初の本格的なファクシミリ通信網サービス(通称Fネット)を開始させたのだ。このFネットとは、回線効率を向上させることで遠距離の場合でも比較的安い料金で通信できるようにした画期的なサービスである。それに合わせ、ファクシミリ装置も10万円を切る低価格を実現したA5版用ミニファックス(MF1)を1981年に発表。
1984年にはG3規格機との相互通信も可能にしたA4版用ミニファックスII(MF2)を登場させた。特にミニファクスは、家庭へのファクシミリ普及を促進させるために思い切った低価格を実現した製品であり、電電公社が一丸となって取り組んだ成果をこの時期の製品群の中に垣間見ることができよう。
その他、自動受信、発信者電話番号の自動記載をはじめ、ネットワークを利用した同報通信や再コール、不達通知など、現在でこそ標準とされている機能を積極的に取り入れた先見性は今日でも高く評価されている。その後も電電公社はDDX網やINS網といった新たなサービスを開始。デジタル回線を利用し、A4文書を4秒で送信できるDDX網用ファクシミリや、A4カラー文書を40秒でフルカラー電送するINS網用ファクシミリなどを開発・実用化することとなる。

現在、ファクシミリはビジネスの現場での普及はいうまでもなく、家庭におけるファクシミリ装置普及率も55%を越えている。インターネットとの融合も果たしたファクシミリだが、老若男女を問わず日常的に利用できるコミュニケーションツールとしての地位を確立し、今後も情報通信機器の一翼を担うツールとして活用されていくことだろう。

写真提供:逓信総合博物館

1930年のできごと

  • 1月 アメリカ3M社がスコッチテープ(セロハンテープ)を発売
  • 4月 銀座三越開店
  • 7月 第1回FIFAワールドカップ開催
  • 10月 東京・神戸間に特急燕運転開始
<流行り>
ロングスカート/チュニック/ジャージードレス/カメラ/時計/万年筆/楓や桜の造花/ルンペン文学(ルンペン・プロレタリアート)
<流行語>
ルンペン/アチャラカ/エロ・グロ・ナンセンス/OK/シック/男子の本懐
<ベストセラー>
機械(横光利一)/測量船(三好達治)
<映画>
[日本映画]
『何が彼女をさうさせたか』『生ける人形』『都会交響曲』『新人斬馬剣』
[海外映画]
『巴里の屋根の下』『モロッコ』
<流行歌>
「すみれの花咲く頃」天津乙女/宝塚月組
<物価>
クリーニング(背広上下)2円80銭/理髪料30銭/ビール38銭/たばこ15銭/新聞購読料月決め99銭
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