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研究開発マガジン

研究開発の歴史 1985年 管路建設のための独自の長距離曲線推進工法『エースモール』 スムーズな通信を支える伝送路を築くための技術革新と進化 前編 〜中継系ケーブルの通り道を築く〜

現代の産業界や生活に欠かすことのできない情報動脈を築く情報通信の伝送路は、ガスや水道、電気などとともに、いまや社会を支える重要なライフラインとなっている。通信ニーズが固定電話からIP通信へと移行し、情報の伝達媒体であるケーブルもメタルから光ファイバへと移行しても、その経路を築く通信土木にはライフラインを支える一貫した普遍的な姿勢と、将来を見据えた計画的な整備と維持体勢が求められているのである。

そこで本コーナーでは、今回と次回の二回にわたって、情報ライフラインの流れを追っていく。前半ではその上流部分を、そして後半では直接各ユーザへの引き込みを担う下流部分にスポットを当てながら、情報通信ライフラインを形成する土木技術の進化と今や建設業界でも高く評価されている長距離曲線推進工法『エースモール』について概観したいと思う。

情報通信ライフラインの流れ

通信ケーブルは大きく、通信センタビル相互を結ぶ「中継系ケーブル」と通信センタビルとユーザを結ぶ「アクセス系ケーブル」に分けられる。後者のアクセス系ケーブルはさらに、通信センタビルから一定数のユーザーエリアまでを結ぶ「岐線(きせん)ケーブル」とそこからユーザのビルや建物に引き込まれる「配線ケーブル」に分かれる。

また、中継系ケーブルとき線ケーブルは地下に布設されており、配線ケーブルは「配線点(き線点)」から電柱に引き上げられるケースも多かったが、近年は景観や交通の流れが配慮され「引き込み管」から「分岐管」を介して、そのまま地下に布設されるケースが増えている。

ちなみに、これらの地下ケーブルを収容・保護する設備である通信ライフラインは「とう道」と「管路」に大別される。NTTでは、地震などの災害から守るため、主要な通信ケーブルには「とう道」という専用の地下トンネルを設けている。とう道から先は「管路」によって地下ケーブルが枝のように分かれ、さらに細い管が地上の電柱やビル、各家庭などへと続いている。現在NTTの通信基盤設備は、約1,000Kmのとう道(共同溝を含む)、約67万Km(地球16周半分)の管路を有している。

加速度的な戦後復興の中で

さて、第二次世界大戦後の荒廃や混乱からの急速な復興期は、通信ライフラインの歴史に大きなターニングポイントを築いた。1950年代の朝鮮戦争特需を契機とした経済復興の中で、わが国の経済は1955年に、戦前の水準にまで復興。翌1956年の経済白書では「もはや戦後ではない」と戦後復興の終了が宣言されたのである。こうして神武景気(じんむけいき)を迎え、首都・東京の電話加入数も爆発的な拡大期を迎えた。

折から、1952年8月に発足した日本電信電話公社は、翌1953年度から「第1次電信電話拡充5カ年計画」をスタートさせた。この時点の加入電話は155万で電話の自動化率は41.5%、電話機総数は225万台(内公衆電話2万台)だったが、この計画によってさらに向こう5年間で加入電話70万増、公衆電話1万5千増、市外回線118万q増設が急ピッチで進められたのである。

さまざまなケーブルをまとめて収容する共同溝の拡大

そのような高度経済成長の中で、都市部はガス、電気、上下水道などの工事が相次ぎ、道路を掘り返して埋め戻しては、また別の工事で掘り返す・・・、といった状態が悩みの種となっていた。さらに、本格的な車社会の到来も工事による渋滞に一層拍車をかけた。

ここにおいて、電力線や電話線など地上に張り巡らされた各種電線類が、都市の景観を崩してしまうのと同時に、通行や消防活動を妨げたり、台風・地震等の災害時に切断されたりすることによる二次災害の発生などが懸念され始めたのである。

そこで1963年4月1日、「共同溝整備等に関する特別措置法」が制定された。これは、特定の道路についてこれらのケーブル類をまとめて歩道に収容することで、機能的な道路空間と美しい街並みづくりを目指したものだ。

同法は、共同溝に収容する施設を電電公社(現・NTT)、電力会社、上下水道事業、工業用水道、都市ガス会社と規定。1963年度には約6億5,200万円の費用が計上され、大宮御所付近:667m、数寄屋橋〜日比谷間:371m、新橋5丁目〜浜松町1丁目間:380mの3カ所、合計1,410mの計画が立案されたのである。

地表を掘る開削工法から非開削工法へ

第二池上局とう道施工 1965年一方、通信ケーブルのためのとう道建設への着手は早く、すでに大正末期から進められていた。そして1928年に、東京中央電話局に全長365mの大規模なトンネルが人力によって完成。これがわが国初のとう道となった。

以降、中小規模の建設を挟みながら、1951年の千代田電話局開局に当たって全長270mのとう道が築かれ、1963年にはシールド工法による日本初のとう道が建設(白金局)された。その後、1970年から1990年にかけて大規模なとう道建設が相次いだ。

とう道の工法は、大きく2つに分けられる。初期には、一度地面に溝を掘ってからそれを杭などで固定してトンネル構造物を埋め込んだ後で、再び土を埋め戻す「開削工法」がとられていた。しかし地表を掘るこの工法は工期も長く、工事区間の地上交通を遮断する必要もあるなど、社会的な弊害が大きかったことも事実。そこで、徐々に地中を掘り進む非開削工法へと移行していった。この流れは、次回に紹介する管路工事においても同様である。

非開削のとう道建設を可能にしたのは、「シールド(遮蔽)工法」の登場だ。これは、トンネルの先端にシールドと呼ばれる鋼鉄製の外筒を設け、土砂の崩壊を抑えながらトンネル掘削を進め、同時に「ゼグメント」と呼ばれる鋼製のブロックをリング状に組み立てた後、セグメントの内側にコンクリートを打設して構造物を築いていく工法である。

第二池上局とう道施工 1965年さらにシールドのための素材として、酸に強く凝固も速い不飽和ポリエステル樹脂を使ったレジンコンクリートが用いられるようになった。これは従来のセメントコンクリートに比べて、引張り/圧縮の双方に対する剛性が大きく、しかも軽量化を図ることもでき、鋼鉄製の外筒も必要ないので、さらに工事の生産性と効率を大きく向上させるのに貢献したのである。

一方、NGN(次世代ネットワーク)化を推進する中で、とう道や管路設備の高齢化も進行している。今後はこれらの設備マネジメント技術、設備維持管理技術、防災・セキュリティ技術のさらなる向上が必要となっている。

今回は、通信ライフライン全体の大きな流れと、幹線的な役割を担う中継系ケーブルの通り道「とう道」の歴史を概観してきた。次回は、最終的なユーザに回線を提供するアクセス系ケーブルの通り道である「管路」の歴史と、その発展を支えた技術革新について述べていきたい。

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