挑戦する研究者たち 塚田信吾 NTT物性科学基礎研究所 フェロー

スイングバイモデルで自らを取り巻く環境を力に変えていく

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NTT物性科学基礎研究所 フェロー 塚田信吾

65歳以上の高齢者が25%を超える超高齢化社会、日本。疾病の早期発見、在宅高齢者の見守りなどのニーズが高まる中、高精度な生体信号計測と生体情報処理基盤の確立が急がれます。一方で、社会はグローバル化が加速度的に進んでいます。このような時代においてどのようなスタンスで研究に臨むべきかNTT物性科学基礎研究所塚田信吾フェローに伺いました。

元臨床医の視点と見識で、医学的診断、健康増進、そしてスポーツ分野へ挑む

現在、手掛けていらっしゃる研究について教えてください。

現在の私の研究は、医学的な診断や治療、スポーツおよび健康増進、それから安全管理や見守りの3つの分野への、Sensing Fabric “hitoe®”の応用です。
私は臨床医としての経験から、治すことの難しい病気の治療に役立つ技術と、病気をより早く見つける技術の必要性を痛感し、それらをテーマにした基礎研究に携わってきました。その過程で、体の中の微弱な信号を電子回路につなぐ目的で使用される「生体電極」に着目する中で、当時NTT物性科学基礎研究所で研究されていた導電性高分子のPEDOT-PSSがそれに適すると考えました。PEDOT-PSSは水に濡れると非常にもろい素材であるため、水分が多い環境で利用される生体電極ではこれが大きな障壁となって立ちはだかります。そこで、外科手術用の絹の縫合糸にPEDOT-PSSをコーティングすることでこの課題を克服し、生体電極として利用できるようになりました。その後、東レ株式会社と共同で、絹の繊維を繊維径700 nmのポリエステルナノファイバに置き換えて、Sensing Fabric hitoe®として開発・実用化しました。
hitoe®が実用化されたとはいえ、そこで研究は終わりというわけではなく、それを普及させていくことで世の中の役に立つようになります。そのためにはビジネスとして成り立つことも必要です。hitoe®が開発されたころから、心拍を測定できるスマートウオッチ等、類似の機能を持ったウェアラブル製品が次々と登場してきました。これらは簡易な心拍測定器として、一気に普及しました。一方、日常の生活や運動中の計測ではデータの歪み、欠損や雑音が増える傾向があるのですが、心電図などの医学検査に用いるためには非常に高い精度が要求されます。このような一般のウェアラブル製品では対応の難しい、高精度な測定が必要とされる分野は hitoe®の活躍する領域です。現在、医療機関をはじめさまざまなパートナーと協働して、医療、スポーツ・健康増進、安全管理や見守りの3分野へのhitoe®の応用を通して普及を図ることに注力しています。特にスポーツ分野は2020年に向けた選手強化が進められており、hitoe®の活用が期待されます。

北米のフォーミュラーレースの最高峰、インディーカーレースでドライバーの生体信号の測定に挑まれたと伺いました。

最初にレーシングドライバーのバイタルデータを測りたいという話が持ち上がったときは、インディーカーレースのシーズン開始半年前でした。インディーカーレースが過酷な環境の中で行われることも知らず、車載に必要な情報もなく全くの手探り状態でした。ほかの仕事の合間をぬって研究用の試作品を基に手づくりしたのですが、とても間に合いそうもない状況でした。耐火ウェアへの特殊加工、配線からトランスミッタまで自分でできることはすべて直接手掛けました。最終的には現地へ行って確認するしかなくなり、インディアナポリスへ向かったのですが、往路の国際線の飛行機の中も、ドライバーに着用してもらうウェアラブルセンサの縫物をしました。現地では超有名ドライバーのトニーカナーンや優秀なエンジニアたちの協力を得ることができました。さらに現地でなければ分からない貴重な情報も得られました。その後も試行錯誤の連続でしたが、何とか本番のレースに間に合わせることができました。各関係者の担当する専門領域が、ジグソーパズルのピースがはまるように上手に組み合わさって、プロジェクトを遂行することができたのが成功の大きな要因です。正直、このメンバーがそろっていなかったら実現しなかったかもしれません(図1)。技術水準もスケジュールも厳しいものでしたが、素晴らしい連係プレーでした。この経験を活かして他のレースの計測にも臨んだのですが、私たちの技術を見てその出来栄えに驚いていたそうです。
このような経験を通して再認識したことは、現場に出向いてモノづくりを自ら直接手掛けることの大切さです。モノづくりは丸投げしてしまうと途端に実体感の乏しいバーチャルな世界になってしまいます。協力会社をはじめ、工場の誰かが必ず汗を流していますし、プログラムも誰かがコーディングし、バグを解決しているのです。できる限り実際の作業に携わればその苦労も分かりますし、研究そのものに実感が湧きます。私は不器用なのか楽をしようとすると途端に失敗が多くなる傾向があるので、必然的に試行錯誤するわけですが、試行錯誤すればどんなことに時間がかかるか分かるし、失敗した場合その理由も分かります。

図1インディーカーレースhitoe<sup>®</sup>プロジェクト初期メンバーとドライバーの生体信号計測

図1 インディーカーレースhitoe®プロジェクト初期メンバーとドライバーの生体信号計測

学際領域での活動は当たり前。グローバル社会で自分の力量を常に確認

従来の研究スタイルから世界が大きく変わったと認識されているのですね。

研究と、研究を取り巻く環境は、20世紀と21世紀ではフレームワークが大きく変わりました。この変化に対応できる方は今後、活躍のチャンスが増えるかもしれません。20世紀初頭から中盤にかけての科学の研究の様子を振り返ると、各分野の初期の重要な仕事は、ごく一握りの専門家によってなされたものが多かったようです。その後20世紀の後半にかけては応用研究、開発が主体となり、それに携わる人の数も増え、並行して情報も爆発的に増えました。特定領域のごく少数のスペシャリストが専門分野をリードする時代から、多数の研究者の連携によって得られる圧倒的な数と量の情報がリードする時代、情報そのものが力を持つ時代へと様変わりしています。こうした情報爆発に対して、機械学習に代表される大量のデータを扱う信号処理が格段に進歩し、さまざまな分野で変革が起きつつあります。それと同時に、学際領域の研究も国際的に想像以上のスピードで進んでいます。これまでのような1つの専門領域に絞って一貫した研究を続けるスタイルも良いのですが、研究を取り巻く環境も時代とともに変化しており、1つの分野、特定の対象に限った研究を長期間継続することは難しくなってきたように感じられることがあります。そのような時代ですから、時々自分の専門領域を超えるテーマを学んだり、異分野交流により外部の状況を知ることも大切ではないかと思います。研究領域を広げて、複数の領域にまたがった仕事をすることが当たり前になりつつあるのではないでしょうか。

研究者自身の意識改革も求められていそうですね。

昨今のグローバル化の著しい環境の中でのモノづくりは、研究者にとって厳しいものだと肌で感じています。 hitoe®を発表した直後に世界的にウェアラブルセンサ類が次々と出現し、hitoe®に似たものも多数現れました。しかも、またたく間にウェアラブルセンサのブームは去り、淘汰の時代に入っています。何か1つのブレークスルー、研究成果が注目されると、それに寄せてライバルが、場合によっては世界中から挑戦者が現れる、それがグローバル化した現代です。
今後のイノベーションは、既存の価値観を変化させるようなインパクトのあるものが求められるようになるかもしれません。少し便利なものができましたという改善レベルでは社会は振り向いてくれません。しかも、苦労して新しい技術を世に出しても、すべて成功するとは限りません。社会に定着させ、安定した収益を得るには複数のハードルがあります。ライバルの出現や技術のコモディティ化の著しい中で、我々はhitoe®でしかできないことを中心に研究開発を進めています。例えば、藤田医科大学とリハビリテーションにhitoe®応用するプロジェクトを進めています(図2)。入院中の患者さんの活動量や心拍数から運動負荷や回復の状況をモニタリングしています。健康な若い人のモニタリングと比較すると、高齢な入院患者さんは脈拍の信号が小さく、一般的な光学式の脈波計では測定が難しい場合があります。一方リハビリテーションの評価指標にするためには、正確な値が求められます。こうした厳しい条件では心電位から心拍数を計るhitoe®の長所が活かされます。専門家の期待にこたえる性能を備え、かつ、着用する人が利便性を感じるものでないと成り立ちません。このような理由から現在hitoe®は、その特長を活かす専門領域に最適化させるフェーズに入っています。
グローバル化によるスピードの速さや競争の激しさは本当に研究者泣かせです。私自身、留学したときに痛感したことですが、研究はまさに「グローバルなプロ社会」であって、2020年に東京で世界の選手がしのぎを削るように、研究のプロたちが世界を舞台に競い合う世界なのですね。自分を鍛え、環境を整え、勝利するために必要な条件をそろえる必要があります。一方、日本の研究者は欧米の研究者のスピード感のある研究スタイルからかけ離れているように感じられるときもあります。自分の関係する研究領域のトピックスだけでなく、研究を取り巻く環境や社会の変化を注視していない研究者もおられるのではないかと思われます。自分がグローバルな環境の中でどのあたりに位置しているのか、時々客観的な尺度で評価したほうが良いのではないでしょうか。私自身この必要性を感じ、確認するようにしています。単に論文成果や知識量だけではなく、スキル、研究スタイル、研究に対するフィロソフィーを含めた総合的な評価です。特に日本人が注意したほうが良い点は、時間や期限に関する意識、仕事の効率に関する意識です。研究活動を含め、日本人は諸外国と比べると期限設定があいまいで、時間制限を設けずに延々と作業することが意外に多いのではないでしょうか。重要な節目までにしっかり完成させる意識に欠け、まだ次があるから、明日があるからなんとかなると漠然と過ごしているように感じられることがあります。

図2リハビリ支援向け活動推定・データ中継技術

図2 リハビリ支援向け活動推定・データ中継技術

「便利なおじさん」だからこそ聞ける本音。人に会い、街に出よう

このような大変革に、どのような意識で臨まれているのですか。

私は自分自身の時間感覚の鈍さを意識したうえで、できるだけスピード感を持って臨もうとしています。自分が意識していても、他の人が同じ意識を持っているとは限りません。スポーツ競技と同様、大会の前や終わった後にいくら良い結果を出しても評価にはつながりませんから、重要な節目に照準を合わせて結果を出していくことが大切です。常に時間に関する課題意識を持って、できる限り最短で仕上げていくという姿勢で臨んでいます。
私は不器用ですから回り道するほうだと思います。しばしば時間を無駄にしますが、集中して効率的に作業をするにはどうしたら良いか意識するようにしています。そして、何よりもまず実行に移すことが大切だと考えています。アジャイル開発というのでしょうか、最初から仕様を完全に固めるのではなく、研究開発活動を進めながら技術と仕様も含めてお客さまの要望に近づけていくようにしています。医療に例えると、初診の救急患者さんへの対応に近いかもしれません。通常の診療では、治療経過や検査結果があり、計画的に診断治療ができますが、救急搬送の場合は、限られた情報や検査値から即座に判断しなければなりません。時には緊急の手術を要することもあり、臨機応変に対応する必要があります。研究開発においても、出来るだけ現場に行って、直接担当者やお客さまに会い、真のニーズを聞き出し、必要な技術を集めて迅速に研究開発をスタートしたいと考えています。
そして、現場でただ要望を聞くだけではなくて、多様な要求に速やかにこたえられるように普段から技術や知識、ツールの引き出しをできるだけ増やすように努力しています。あまりやり過ぎると収拾がつかなくなり、自分が何者か分からなくなるのですが。
お客さまからは「便利なおじさん」のように見られているかもしれません。よろず屋のほうが気兼ねなく率直な話ができて、より多くの情報が集められ、また現場で得た刺激から、新しいアイデアも湧いてくると思うのです。また市井のニーズを集める作業と並行して、マッチするシーズや専門的知識を有する担当者を同席させて、分担協力しながら開発に取り組むのです。テーマごとにその専門家と連携して取り組めば、より多くの分野の人とかかわることになり、大きな仕事になります。お客さまからご相談を受けた以上は責任を持って取り組みたいと思っています。時々「便利なおじさん」をやり過ぎてしまって自分の仕事量の限界を超えてしまうこともありますが、休息を取り、一研究者として対象を科学的に探求する時間もできるだけ確保するように心掛けています。

スイングバイモデルなら発展できる方向に軌道修正し加速できる

今後はどのように研究活動をされますか。

夢が2つあります。1つは先端的な医療機器や安全機器の開発です。専門家から評価されるようなプロダクトを実現したいという思いがあります。例えば、もっとも難しい医療機器の1つである心臓ペースメーカー用の新しい電極、現在はほとんどが外国製ですが、これを日本発の技術で実現したいです。もう1つは、病気になる前兆、深刻な予兆を検出することに挑みたいと思っています。第1段階のセンシングの技術はほぼ目標をクリアしましたが、第2段階の信号処理は大変難しいもので、現段階では苦戦していますが、楽しみながら新しい手法に果敢に挑んでいます。

若い研究者の皆さんに一言お願いいたします。

まずは基礎体力をつけることです。自分の専門領域をしっかりと基礎から築き上げておくことが重要だと思います。例えば情報科学でしたら、流行の機械学習の背後にある数学や統計学や神経科学の基礎を学び、実践でその知識を活かしてこそ、その妥当性を正しく評価することができると思います。物事を正しくとらえ、分析し、応用し、構築できる、しっかりとした基礎体力をつけて、現場での経験を積んでいただきたいです。そして、もう1つはグローバルな尺度で自分のポジションを把握することです。私自身の戒めでもありますが、客観的かつ国際的な評価を定期的に受けることは、本当に厳しいことですが必要です。そのために、論文を書いたり、学会で発表したり、研究者どうしの交流を深めてほしいですね。こうした活動を国境を越えて展開することが容易な時代なのですから、英語の上手い下手に関係なく、こちらから出掛けていって交流を深めてほしいです。
余談になりますが、私は小惑星探査機「はやぶさ」等に興味があります。日本の「はやぶさ」をはじめNASA等の多くの惑星探査機は「スイングバイ」を利用して目的の惑星に向かっています。この「スイングバイ」とは、探査機等が太陽系を周回しながらある惑星に近づき、惑星の重力と運動を利用して加速しながら軌道を変え、それを繰り返すことによって、より少ないエネルギーで目的の惑星に到達する航法です。実は研究開発も、この「スイングバイ」と同じようなことをしているのではないかと思い、「スイングバイモデル」と名付けました。研究テーマであるシーズ=小型人工衛星がニーズ=惑星の引力圏に近づいたとき、軌道を惑星(ニーズ)に向けると、引力(ニーズ)に引きつけられて開発は加速し、軌道修正(開発の方向性の決定)ができます。スイングバイを繰り返すことで、さらに速度を増し、経験値を高めることもできます。最初は速度が遅くて自力で達することのできないような遠い目的地も、近くの惑星に接近するチャンスを活かして、勇気を持ってニーズ(惑星)に向かって一歩踏み出せば、「スイングバイ」により加速し、貴重な経験(運動エネルギー)を得て、遠くまで飛ぶチャンスを得ることができるのではないかと思います。
もしも、最初のアクションが起こせないと悩む人がいたら、まずは自分で小規模に試してみることです。あるいは勇気がないのであれば、趣味としてたしなむのです。自分の好きなことをプライベートタイムに試してみるのです。私も現在、生体信号処理の方法を模索中です。専門の先生から見たら非常にゆっくりしたペースだと思いますが、高校、大学生向けの教科書などを読みながら自分の領域外の知識を増やして楽しんでいます。電子部品や手芸材料を買い集めて自分で工作するのも楽しいですね。ちょっとした冒険心が最初の一歩につながるのではないでしょうか。

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