報道発表資料

平成14年9月18日
日本電信電話株式会社
科学技術振興事業団


人工原子中の電子の振る舞いから
量子コンピュータのメモリ応用の可能性を確認

― 電子スピン量子コンピュータ実現へ一歩近づく ―


 日本電信電話株式会社(以下NTT、本社:東京都千代田区、代表取締役社長:和田紀夫)と科学技術振興事業団(以下JST、埼玉県川口市、理事長:沖村憲樹)は、東京大学およびNational Research Council of Canadaの協力を得て、人工原子(*1 図2参照)を量子コンピュータ(*2 図1参照)のメモリ(量子ビット *3)に応用できる可能性を示し、量子コンピュータの実現に向けて一歩近づくことができました。実験は、電圧によって自由に電子の数を制御することのできる半導体人工原子と、電子の出入りを時間的に制御することのできる新しい電気的ポンププローブ測定(図3参照)を用いることにより、人工原子の中で電子スピン(*4)に関わる選択則(*5)が、自然界にある原子の場合と同様であることを世界に先駆けて実証したものです。これにより人工原子中の電子スピンが、量子コンピュータの演算の基礎となる0か1を表すメモリとして、充分な時間その記録を保持できる可能性を示したと考えられます。


<背景>
 電子は自転していて、電子スピンと呼ばれる微小な磁石として振る舞います。この電子スピンは従来のデバイスでは用いられませんでしたが、近年、電子スピンを用いた磁気センサーや電子デバイス(スピンエレクトロニクス)のほか、とりわけ量子力学によって超高速並列計算を目指す量子コンピュータへの応用が期待されています。量子コンピュータは、従来のコンピュータでは数万年かかるような計算を瞬時に解くことができるため期待が高まっていますが、多くの技術的課題を克服して実用化するためにはまだ数10年かかるといわれています。量子コンピュータの動作原理は従来のコンピュータと大きく異なり、<1>量子情報を記録するメモリ(量子ビット *3)、<2>論理演算を行う量子ロジックゲート(*6)、<3>量子ビットの読み出し技術、<4>これらの集積化技術―などを確立する必要があります。また、量子コンピュータでは、メモリの保持時間以内に、全ての量子演算を実行する必要があるため、量子演算に要する時間よりもはるかに長いメモリの保持時間を有する事が要求されます。量子コンピュータ実現のため多くの方式が検討・実験されています。半導体人工原子中の電子スピンを用いた電子スピン量子コンピュータは、電子スピンの状態の保持時間(メモリの保持時間)が量子演算時間に比べ十分長い可能性があるため、有力候補の1つとみられています。今回の成果は、電子スピンのメモリとしての性質を調べたものであり、その保持時間、すなわちエネルギー緩和時間(*7)が十分に長いことを実証したものです。


<実験および成果の内容>
 本研究は、人工原子の電子スピンが自然界の原子の電子スピンと同様の性質があることを証明し、そのことから量子コンピュータへの応用の可能性を導いたところにあります。実験では、電圧によって自由に電子の数を制御することのできる人工原子と、電子の出入りを時間的に制御することのできる電気的ポンププローブ測定を新たに考案し用いることにより、メモリとして応用する場合の性能指標の1つであるエネルギー緩和時間を調べました。
 今回用いた人工原子は半導体積層構造を電子ビーム露光技術などで作成したもので、制御電圧によって人工原子中の電子の数を0個から正確に制御できるという特徴があります。通常の原子になぞらえて、電子1個の場合を人工水素原子、2個の場合を人工ヘリウム原子と呼びます。
 今回、電気的ポンププローブ測定を考案したことにより、従来の光学測定において正確な測定を阻んでいた電子と正孔がペアで生成されるという問題を解決し、人工原子への電子1個の出入りを時間的に正確に制御可能としました。これにより、エネルギー緩和時間の正確な測定が可能になりました。
 今回の実験では、人工原子をエネルギーの高い状態に励起してから、エネルギーの最も低い基底状態へ変化するエネルギー緩和時間を測定し以下の結果を得ました。
<1> 人工水素原子のエネルギー緩和時間は、3〜10ナノ秒(ナノは10億分の1)
<2> 人工ヘリウム原子では0.2ミリ秒(ミリは1000分の1)
<3> 両者のエネルギー緩和時間には、2〜6万倍の差がみられた(図4参照)。
この違いは、スピンの変化を伴うエネルギー緩和が起こりにくいため、スピンの変化を伴わない人工水素原子に比べて、スピンの変化を伴う人工ヘリウム原子では、エネルギー緩和時間が著しく長くなるためです。これは、通常の原子(水素原子、ヘリウム原子)でみられる光の選択則と同様の現象であり、スピンが変化しない場合にエネルギー緩和が起こりやすいという選択則によって説明することができます。そして、この大きなエネルギー緩和時間の違いが観測されたことは、人工原子の品質の高さを表しています。
 以上の実験結果をもとに、電子スピンをメモリとして用いた場合のエネルギー緩和時間は1ミリ秒を越えると推定されます。この時間の長さは、量子演算に必要な時間(他の研究機関によると数ピコ秒)よりもはるかに(10億倍程度)長く、人工原子の電子スピンを量子コンピュータのメモリに充分利用できることを示唆しています。


<今後の展開>
 今後は更に、論理演算を行う量子ロジックゲートの実現、メモリである電子スピンの状態の読み出し技術などについて研究を進め、電子スピン量子コンピュータの実現を目指します。

 本研究は、英国科学雑誌Nature(9月19日号)に掲載予定(報道解禁日時は、掲載日の午前3時/日本時間)。


<用語解説>
*1 人工原子:半導体などを用いて人工的に作製したナノ(1ナノは10億分の1)メートルスケールの微細な構造を量子ドットと呼びます。特に少数個の電子しか存在しない量子ドットでは、通常の原子でみられる電子の性質を示すことから、人工原子と呼ばれます。

*2 量子コンピュータ:量子力学の原理を用いて複雑な計算を超高速で並列に処理する量子コンピュータは、従来のコンピュータをはるかにしのぐ性能が得られる可能性があります。液体分子を用いた核磁気共鳴量子コンピュータによる基礎研究が最も進んでいますが、集積化が可能な固体素子による量子コンピュータの実現が望まれており、電子スピン量子コンピュータはその有力候補の1つです。

*3 量子ビット:量子コンピュータを構成する記憶素子の最小単位。これは従来のコンピュータのデジタル信号の1ビット(0または1)と異なり、0と1の重ね合わせ状態(例えば、0が30%で、1が70%という確率情報)を表すことができます。

*4 電子スピン:電子は、電子の電荷によって電流を運ぶだけでなく、電子のスピン(自転)によって微小の磁石のような振る舞いをします。従来の電子デバイス等では電荷の性質のみを利用してきましたが、スピンによって新たな機能をさぐる研究が盛んになっています。

*5 選択則:通常の原子においては、光の放出・吸収に対する選択則がよく知られており、その1つに、光の放出・吸収によって電子スピンが変化しないという法則があります。本成果は、人工原子においても選択則が成り立つことを示したものです。

*6 量子ロジックゲート:量子コンピュータを動作させるための情報処理の基本単位。量子コンピュータにおける論理演算を行う動作を量子ロジックゲートと呼び、数種類の量子ロジックゲートの組み合わせによって、すべての量子計算を行うことができます。

*7 エネルギー緩和時間:電子がエネルギーの高い1の状態からエネルギーの低い0の状態へ変化する時間のことで、メモリとして情報を保持可能な時間の事です。


図1 従来のコンピュータと電子スピン量子コンピュータの比較
図1 従来のコンピュータと電子スピン量子コンピュータの比較


図2 人工原子
図2 人工原子
人工原子:電子数(0〜数100個)を制御電圧により正確に制御可能。ガリウム砒素/アルミニウムガリウム砒素/インジウムガリウム砒素の積層構造を電子ビーム露光技術とドライエッチング技術等によって作製(写真)。実際の電子は、構造よりも小さい100ナノメートル以下の円盤状(右図)に閉じ込められている。人工原子内の電子は軌道(青線)を描くとともに自転(スピン)(矢印)している。


図3 電気的ポンププローブ測定
図3 電気的ポンププローブ測定
人工原子への電子の出入りを時間的に正確に制御する技術で、エネルギー緩和時間を測定できます。


図4 人工原子のエネルギー緩和時間測定の結果
図4 人工原子のエネルギー緩和時間測定の結果




<本件に関する問い合わせ先>
NTT先端技術総合研究所 企画部
相原 公久、甕 礼史
〒243−0198 神奈川県厚木市森の里若宮3−1
TEL:046-240-5152 FAX:046-270-2365
E-mail:st-josen@tamail.rdc.ntt.co.jp

科学技術振興事業団
戦略的創造事業本部 研究推進部 研究第二課
課長 蔵並 真一
〒332-0012 埼玉県川口市本町4-1-8
TEL:048-226-5641 FAX:048-226-2144
E-mail:kuranami@jst.go.jp



News Release Mark
NTT NEWS RELEASE