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平成11年2月18日 | |||||||||
日本電信電話株式会社 | |||||||||
視覚における「動き」と「位置」「形」の処理の間に関連性を発見 「ものを見る」仕組みの解明に前進 | |||||||||
【背景】 (視覚研究の意義) 私たちが「ものを見る」場合、目のレンズが網膜上に像を結んでから、「見えた」という意識が成立するまでには、網膜や大脳皮質の視覚野にある神経回路が複雑な情報処理を行わなければりません。この情報処理の仕組みを明らかにすることは脳科学の重要な課題であると同時に、画像の圧縮や機械認識などの工学的応用に結びつくことが期待されます。
「見え」の世界は、明るさや色、模様、形、運動、位置など、さまざまな画像の属性から構成されています。そのような属性を担当するいろいろなはたらきが集まって、私たちはものを見ることができるのです。最近の脳科学の発展により、異なる属性を担当するはたらきは大脳皮質の別々の位置にあることが分かってきました。例えば、運動の情報はV5という領野、色の情報処理にはV4という領野が深く関わっていることが示唆されています。
物理的な世界において、物体の運動はその位置や傾きの変化を伴います。そして、一定時間でどれだけ位置が変化するか、から運動の速度が計算できます。しかし、「見え」の世界においては運動と位置変化は必ずしも対応しません。これは、両者の情報が脳の中で別々に処理されているためであると考えられています。
そのことを示す典型的な事例が、「運動残効」(または「滝の錯視」)と呼ばれる錯視現象です。これは「同じ方向の運動をしばらく見続けると、物理的に止まっているものが反対方向に動いて見える」というもので、古くから知られています。運動を処理するメカニズムが順応した結果、実際には存在しない運動が脳内でつくり出されるのです(注1)。その結果「止まっているのに動いて見える」というパラドックスが体験されることになります。
これまで、運動残効では「動いて見える図形の位置は変化して見えない」と言われてきました。そして、このことは「バラバラに処理された運動と位置の情報がお互いに影響することなく知覚される」ことを意味していると考えられてきました。つまり、それぞれの属性を担当するはたらきは完全に独立しているというのです。
しかし、今回の発見によってこの常識が間違っていることが明らかとなりました。
(基本的な現象:図1参照) 被験者にまず回転する風車図形を見せます。その後、テスト図形となる静止風車を見せます。すると、運動残効によって被験者には風車図形が反対方向に回転しているように見えます。ここで、本当は垂直である風車の矢羽根の方位が、被験者にどのように見えるかを調べます。運動残効が位置変化を伴わないなら垂直に見えるはずです。しかし、実際には、運動して見える方向に傾いているように知覚されるのです。
このみかけの方位のずれの量を時間とともに測定すると、テスト図形を見た直後の数秒の間は、まるで本当に風車が回転しているように方位のずれが次第に大きくなっていきます。ただし、その速度は、実際に知覚されている運動残効の速度の1割にも満たない遅いものです。つまり、運動速度に応じた分、位置が変化するわけではありません。運動と位置変化の見えは一致しません。 テスト図形提示開始から数秒後、みかけの方位のずれは徐々に減少し始めます。これは、運動残効が時間の経過とともに弱まっていくためですが、面白いことに方位のずれは運動残効が見えなくなった後もしばらく残ります。これは、運動の情報から位置変化を推定する際に、私たちの脳が過去の運動の影響を記憶しておくようなバッファを使って時間積分を行っているからではないかと考えられます。
また、運動残効が見える方向と反対方向に風車を実際に回転させると、実際には動いているのに、止まっているように見える状態を作り出すことができます。この状態では方位のずれは見られません。これは脳内の運動信号そのものが方位のずれを生み出す原因であることを意味しています。
(運動と位置の相互作用:図3参照) 今回の発見は、運動と位置の情報がある程度独立に処理されていることを否定するものではありませんが、運動の情報が位置の知覚に影響するような経路が脳内に存在することを意味しています。さらに、今回の実験では、運動残効による位置の変化が、方位の変化を生み出していることも重要です。「位置」以上に「方位」は「形」の処理に関わるものと考えられます。「形」と「運動」は「側頭葉系」と「頭頂葉系」という二大処理経路の代表的な属性と考えられてきたものです。従って今回の発見は、この二つの系がこれまで考えられてきた以上に密接な連係をもって視覚情報処理を行っている可能性を示唆しているのです。
では、運動が位置の判断に影響するような経路が脳内に存在する理由はなんなのでしょう。私たちがものを見るためには1秒の何分の1かの処理時間がかかります。飛んでくるボールがある位置に見えたとき、処理の遅れのせいで実際のボールはもうその位置にないことになります。この問題を解決し、正しい位置に運動するものを見るためには、運動からボールの未来の位置を予測して、「動いた先」を見る必要があります。そして、未来を予測するためには、運動速度を時間的に積分して位置の変化量を推定し、現時点で見えている対象の姿と統合する必要があります。そのような機能を実現することが、今回見い出された「運動」と「位置」の相互作用の一つの目的であると考えられます。
近年のマルティメディアの発展によって、動画像を効率的に圧縮する技術に注目が集まっています。圧縮では、どのような情報を残し、どのような情報を捨てるのかの選択が問題になります。その選択が「ものを見る仕組み」に基づいたものでないと、人間に快適な通信技術は実現できません。今回の研究によって、「運動」の情報は、運動そのものを見るためだけではなく、「位置」や「形」を見るためにも利用されていることが明らかになりました。この「運動」の情報の新たな特性の解明は、動画像圧縮技術の発展につながる可能性があります。
運動残効は、以下のようなメカニズムで生じると考えられています。我々の脳の中にはさまざまな方向の運動を検出する細胞群があります。その中で、左/右の方向に応答する二つの細胞LとRを考えましょう。通常、静止刺激に対しては、二つの細胞は同じ強さで反応します。同じ強さで反応することを、刺激が静止していることと脳は解釈します。次に、右方向の運動を見せると、R細胞が強く反応します。この状態をしばらく続けますと、順応という現象により、R細胞の反応が次第に弱まってきます。この場合、順応とは疲労のようなものを意味します。この後、再び静止刺激を見せると、今まで反応していたR細胞は疲れて鈍くなっていますから、L細胞の方が相対的に強く反応します。このような細胞の反応パターンは、左方向の運動を見ているときの状態と同じですから、脳の解釈の結果、静止しているのに左方向の運動が見えることになります。
運動残効による傾きの誘導 ・図1(現象、この錯視の意義) ・図2(傾きずれの時間特性) ・図3(モデル) ・図4(「動いている対象を正しい位置に見る」ためのメカニズム) | |||||||||
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