(ニュースリリース)
平成23年7月22日
科学技術振興機構(JST)
東京大学 大学院工学系研究科
東京大学 生産技術研究所
日本電信電話株式会社
JST 課題達成型基礎研究の一環として、東京大学 大学院工学系研究科の大岩 顕 講師と樽茶 清悟 教授や日本電信電話株式会社(以下、NTT)の研究チームは、半導体量子ドット注1)において、電子に働くスピン軌道相互作用注2)の大きさを、電気的に制御することに世界で初めて成功しました。
電子スピン注3)は、電子が持つ磁石のような性質で、情報の基本単位である「ビット」として利用することが可能ですが、単一の電子スピンの情報を操作して記憶する技術の開発は、量子情報処理分野で重要な課題となっていました。電子スピンを操作する方法としては、スピンに働く軌道相互作用の利用が知られています。この作用を強くすれば電子を高速に回転でき、逆にスピンの情報を記憶するときには、スピン軌道相互作用をできるだけ小さくします。しかし、そのためには、軌道相互作用の大きさを電気的に制御する技術が必要不可欠ですが、これまでに成功した例はありませんでした。
本研究チームは、スピン軌道相互作用が強い材料であるヒ化インジウム(IsAs)の半導体量子ドットと呼ばれるナノメートルサイズ(ナノは10億分の1)の箱のような空間に電子を閉じ込めることにより、この空間の中の電子の位置を電界で制御する方法と、それを評価する新しい方法を組み合わせることで、スピン軌道相互作用の大きさを電気的に制御することに成功しました。これにより、絶対安全な暗号や莫大なデータベース検索など次世代高度情報化社会を支える量子情報処理技術の発展に大きく貢献することが期待されます。
本研究成果は、東京大学 生産技術研究所 平川 一彦 教授との共同研究で得られ、2011年7月24日(英国時間)に英国科学雑誌「NaTure Nanotechnology」のオンライン速報版で公開される予定です。
電子には、電荷、スピンという物理量があります。現在の電子デバイスは、電荷を使い発展してきましたが、近年、電子のスピンという上向き下向きの磁石と例えられる性質を使い、量子力学に基づいて情報の伝達や計算を行う量子情報処理を実現しようとする研究が活発です。量子情報処理は、絶対に安全な暗号技術や、莫大なデータベースの検索など、次世代の高度情報化社会を支える革新的な技術となります。量子情報の基本単位は量子ビットと呼ばれ、光の最小単位である光子はその代表で、量子情報の長距離通信を担います。1つの電子スピンも量子ビットとして用いることができます。しかし、通常のトランジスタなどの半導体素子では多数の電子が動き回っているため、単一の電子スピンを操作・検出することは困難です。そこで数個の電子を閉じ込めた半導体量子ドットがスピン量子ビット注4)として有望視されています。基本的な演算は、1つの電子スピンの方向を操作(回転)することです。そこで鍵となるのがスピン軌道相互作用です。すでにスピン軌道相互作用を含めいくつかの方法で、量子ドット中の単一電子スピン操作が実現されています。スピン軌道相互作用を利用すると、電界は磁場に変換されて電子スピンを回転させることができます(図1)。スピン軌道相互作用が強ければ、高速に回転させることができます。しかし、スピン軌道相互作用はスピンの方向が乱れる(緩和)要因でもあり、情報を長い時間保持しておくためには、スピン軌道相互作用は弱いほうが望ましいと考えられています。従って、スピン軌道相互作用を単一の素子中でうまく利用して、高性能なスピン量子ビットを実現するには、量子ドット中の電子数を一定に保ったまま、その大きさを電気的に制御する技術が必要不可欠です。これまで量子ドットでは、電子数一定のままスピン軌道相互作用の電気的制御に成功した例はありませんでした。
本研究グループは、スピン軌道相互作用が強い材料であるInAsの自己形成量子ドットの研究に数年間取り組み、量子ドットに近接するように配置したサイドゲート電極(図2)に電界をかけ、量子ドット中の電子の位置や広がりを効果的に制御できる方法を独自に開発していました。今回の研究成果は、近藤効果注5)によりスピン軌道相互作用を正確に計測する方法を開発し、サイドゲート電極法と組み合わせることで、スピン軌道相互作用の大きさの電気的な制御が可能という着想のもとで行われています。
本研究では、半導体基板表面に析出したInAs自己形成量子ドットを用いました。量子ドットに直接ナノギャップ電極を取り付け、単一量子ドットの電気伝導を測定しました(図2)。量子ドットの下方のバックゲートと呼ばれる金属的な層に電圧(VG)をかけることで、量子ドットの電子状態と電子数を制御します。さらにスピン軌道相互作用を制御するために、ドットのすぐそばにサイドゲート電極を設置しました(図2)。
量子ドットにおけるスピン軌道相互作用の効果と、その定量的な測定方法を説明します。量子ドット中の電子状態は、スピンと軌道によって特定されます。例えば、軌道aという指標の状態には↑と↓の2つの電子スピン状態があります。ここで磁場をかけると、スピンや軌道に応じて状態のエネルギーが変化します。InAs量子ドットでは、スピンと軌道が異なる2つの状態が「交差」します(図3左)。ここで、スピン軌道相互作用が働くと、スピンと軌道が異なる2つの状態は混じり合って、図3右に示すように、交差ではなく「反交差」が生じます。従って、この反交差からスピン軌道相互作用の大きさが測定できます。しかし、従来の量子ドット測定法ではエネルギー分解能により直接、正確に測定することは困難でした。今回、近藤効果によって反交差を観測できるという着想に基づき検証実験を行いました。近藤効果が起こると、量子ドットの伝導度(電流の流れやすさ)は量子ドット中の電子スピンの状態に敏感に変化します。もし2つのスピンの状態が交差していれば、ナノギャップ電極間の電圧(Vsd)がゼロ付近で電流が流れ、ゼロ電圧付近に1つの伝導度ピークが観測されます(図4左上)。もし一致せず反交差している場合、2つの状態のエネルギー差(2Δ)に対応する電圧Vsdの位置にそれぞれ伝導度ピークが現れ、伝導度ピークが分裂し、1つになることはありません(図4左下)。図4右は、実際に近藤効果が起こっている領域で、電圧Vsdと磁場の関数として伝導度を測定した結果です。2つの破線が最も接近した磁場でも伝導度は分裂したピークを示し、図3右と類似の反交差が観測されました。この反交差から、スピン軌道相互作用エネルギーを定量的に測定できました。また、観測された反交差がスピン軌道相互作用によるものであることは実験とNTTの理論解析の比較により裏付けられました。
次に、サイドゲート電圧Vsgを加えた時の、ピーク分裂を図5の左図に示します。サイドゲート電圧をマイナスからプラスへ変化させていくと、分裂の大きさも増大しました。これは、サイドゲート電圧によりスピン軌道相互作用の大きさを変化させたことを示しています。この時、スピン軌道相互作用エネルギーの大きさΔは、50−160μeVの広い範囲で変化させることに成功しました。重要な点は、量子ドットの電子数を変化させずにスピン軌道相互作用だけを制御したことです。図5の右図は、電子数が異なるバックゲート電圧領域で測定したスピン軌道相互作用のサイドゲート電圧制御を示したものです。電子数を変え、関与する状態(軌道)が変わると、サイドゲートに対する依存性が変わることが分かります。このことから、今回観測したスピン軌道相互作用の電気的制御のメカニズムは、横方向からのサイドゲート電圧による電子の位置や広がり方の変化の程度が、関与する2つの状態で違ったためスピン軌道相互作用の大きさが変わったのだと推測しています。
本研究では、電界効果によって自己形成量子ドットのスピン軌道相互作用の大きさを制御することに成功しました。今後は、量子ドットやサイドゲートの改良を進め、より広い範囲でスピン軌道相互作用を制御することを目指します。本成果は、スピン量子ビットの高速性や集積性を向上させるブレークスルーにつながると期待されます。さらに将来的には、電子スピンを操作する時には、スピン軌道相互作用をオンして、強いスピン軌道相互作用により高速に回転させ、電子スピンの向きを長時間記憶する時には、オフしてスピン軌道相互作用を弱くする、理想的な機能を持つ電子スピン量子ビットやスピン軌道相互作用スイッチング素子の開発を進めていきます。
“Electrically tuned spin-orbit interaction in an InAs self-assembled quantum dot”
(InAs自己形成量子ドットにおけるスピン軌道相互作用の電気的制御)
Yasushi Kanai, Russell S. Deacon, Shun Takahashi, Akira Oiwa, Katsuharu Yoshida, Kenji Shibata, Kazuhiko Hirakawa, Yasuhiro Tokura, Seigo Tarucha
大学院工学系研究科 物理工学専攻
樽茶 Tel:03-5841-6835
大学院工学系研究科 物理工学専攻
大岩 Tel:03-5841-6856
企画部 広報担当
森・矢崎 Tel:046-240-5157
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